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二名敦子の思い出 [レコード]

二名敦子(にいなあつこ)
この名前を聞いて懐かしがってくれる人ってどれくらいいるのだろう?
ワタシが彼女に入れ込んでたのは1984〜85年というわずかな期間のため、誤った情報や「知ったかぶり」が炸裂するかもしれませんが、その時はドンドン突っ込み入れてください。

1983年にテイチクからデビューした二名敦子。今となってはフリーソウルだのライトメローだのと騒がれデビュー盤が10000円近く(コレクター相場)でヤフオクに出たりしてますが、全く当時売れなかったのは事実。

1984年になり発売されたのが、現在でも彼女の代表作(と、ワタシは思っている。)である「LOCO ISLAND」がビクターより発売される。前作よりはしっかりとした計画(タイアップ等)で二名敦子はNINAとしての役割を果たすことになる。
現在はCMやドラマのタイアップはあたり前だけど、70〜80年代って以外に少ないような気がします。もちろんCMタイアップされた曲は間違いなくヒット曲。こと化粧品のCMならなおのこと。この「LOCO ISLAND」からのシングルカット「渚のフェイム/カラパナ・ブラックサンド・ビーチ」はマックスファクター84年夏のキャンペーンソングとサッポロのスポーツドリンクのイメージソングという、両面タイアップを見事に果たしたのだ。

「渚のフェイム」は当時流行っていたシンディーローパーの「ハイスクールはなんたら・・・・・」っぽい曲調が軽快でCMにも良くあっていたな〜って思い出します。いい曲でしたが憶えていますかね〜。
でもそれを上回る大きなタイアップをやってしまったのがアルバム「LOCO ISLAND」。

JALのハワイキャンペーンに乗っかり、写真家のニック加藤、カマサミ・コングとマガジンハウスとの協力により、アルバム発売前から「ポパイ」のハワイ特集(JALとビクターそしてサントリーの記事広告)に告知され、同アルバムに作曲とヴォーカルで参加しているヘンリーカポノなどとのショットも掲載されていて、ハワイへ行きたい感と「LOCO ISLAND」聴いてみたい感でいっぱいにしてくれた。後に発売された「LOCO ISLAND」のライナーノートにはポパイで使用されたニック加藤の写真と記事を満載した、今までにないスタイルのライナーノートだった。
こうして発売された「LOCO ISLAND」には先にも書いたがヘンリー・カポノとのデュエット曲「ラハイナ・ミッド・サマー・クルージン」の他、作曲に高中 正義、村田 和人、安部 泰弘、佐藤 博などを配し、イイ空気感で溢れたアルバムであったが、ワタシが一番驚かされたのは、アルバムの最後を飾る曲が、ビーマーズのカバー「ホノルル・シティ・ライツ」だったこと。

全編日本語で歌われ、歌詞の内容もオリジナルとは全くちがったけど「ホノルル・シティ・ライツ」は良かった。
ビーマーズ大好きなワタシでも感動できた。ここで話しは数ヶ月前にもどるが・・・・


なんともダサイジャケットであるが、名盤である。
タイトル曲はハワイの代名詞的ヒットソングだったにもかかわらず、一般的には知名度も低かったが、映画「ビッグ・ウエンズデー」にもエンディングテーマをはじめ数曲使われたことから少しづつではあるが知名度も上がってきた。
しかし、セシリオ&カポノやカラパナなどの違い、ハワイを離れて本国でメジャーデビューをしたアーティストと違い、
当時、まだまだハワイのマイナーレーベル(パラダイスレコード)のレコードはなかなか手に入れることが難しかった。1984年2月にハワイへ遊びに行った際、このレコードを買って来た。まだ、この時点では二名敦子のことは知らなかったが、友人が録音したラジオ番組のカセットに入っていたNINAの「ホノルル・シティ・ライツ」が入っていてこれが感動的で一気にハマってしまった。ビーマーズのアルバムではオープニングナンバー、しかしNINAの「LOCO ISLAND」ではエンディング曲。構成やイメージが違っていても、「ホノルル・シティ・ライツ」は、ワタシにはちょっと甘酸っぱい思い出の曲である。
翌85年サードアルバムを発売した二名敦子にまたまた驚かされることになろうとは・・・・・

前作同様にテーマはやっぱり「ハワイ」。ライナーも前回とコンセプトは同じく、マウイの名所や当時のおすすめスポットなどが紹介されるなどしていた。
「LOCO ISLANDではヘンリーカポノを配したり、ビーマーズのカバーをエンディングにつかったりと、ハワイを十分に感じさせる仕上がりであった。しかし・・・
今回のこのアルバム、テーマとはちょっと違ったカバーが2曲入っていた。それは・・・・・・

なんとPABLO CRUISEの79年作品「A PLACE IN THE SUN」から「Tonight My Love」「Atlanta June」の2曲。
オイオイ、PABLO CRUISEはハワイじゃなくてサンフランシスコのバンドだろ?おっかしいな〜・・・
無理矢理接点見つければ、
ハワイ=サーフィン
サーフィン=フリーライド(映画)
フリーライド=フリーライドサーファー(曲;パブロ)
ってとこでしょうか?強引な感もあるが、何故PABLO CRUISEだったのだろう?85年といえばもう既に人気のピークは過ぎていたし、この時点で「A PLACE IN THE SUN」に参加していたメンバーも2人だけ。どんな背景があってこのコラボレーションとカバーが誕生したかは、未だに解らない。
相変わらずの完全日本語歌詞。もちろん原曲の詞はまったく無視した強引なまでの女性視点のラブソング。
まぁ、「Tonight My Love」はNINAに合っていたし、原曲のアレンジを忠実に再現。特に間奏の演奏なんてオリジナルよりカッコイイって思いましたが、まずかったのが「Atlanta June」。原曲のシチュエーションはアトランタとジョージア。決して芝生、プールサイド、6月のウエディングベル・・・・あ〜、これはちょっとおかしい。さすがに違和感があった。しかし、その85年夏、こんなこのが発売された。

カセットオンリー(何故??)でリリースされた「レインボー・アイランド・レディオショー」
いや〜汚くてすみません。なにせ20年も前のカセットテープ。よくまぁ切れたり、延びたりせずに、なによりも捨てないで残っていたもんだ。
内容は架空のハワイの放送局を舞台に2人のロコDJとNINAのラジオショーといった設定。NINAの英語力の無さには愕然としてしまった。(台本無しだったのだろうか?ホントにひどい。)しかし、すべて既存の曲しか収録してないのに英語のコメントによる曲の紹介と、ジングルを上手く曲のイントロに重ねる演出が見事!特にパブロのカバー曲の2曲は完全にアルバム収録されたものよりカッコイイ。
このカセット、夏のキャンプに防水カセットレコーダーとともに佐渡に連れていって、随分活躍してくれた。
これ以降、NINAはカマサミ・コングらとKIKIのイヴェントに参加したり、数枚のアルバムを発売しましたが、84〜85年の熱はもう無かった。それは二名敦子には責任はないと思う。プロダクショニングの散漫さと一貫性の無さ、そして自分が少しだけ嗜好が変わっただけのこと。


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papachan150

たまたま二名敦子で検索したらここにたどり着きました。
85年当時は大学一年でした。
アイドルともロックとも一線を画したJ-POPは、当時はまだ新しく、このような音楽に入れ込むこと自体に学生になった実感を覚えたものです。
彼女の住んだ歌声と甘いメロディーを繰り返し車の中で聴いていたことは今でも忘れられませんね。
この記事は、そんな二名さんの音楽に対する造詣や、学生時代の思い出を色鮮やかに再現させてくれて、とても嬉しかったです。
by papachan150 (2010-03-21 13:08) 

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